クムラン宗団が歴史を変える?イエス・キリストと死海文書の関係とは

クムラン宗団と死海文書 都市伝説

クムラン宗団を知らなくても、イエス・キリストは誰でも知っていますね。

キリストはクムラン宗団という宗教団体へ所属していたのではないか!?と言われているのです。

世界で一番有名なキリスト教を作り、様々な伝説を残しているキリストが所属していた宗教とは何だったのでしょうか?

クムラン宗団とはどんな集団なのか

死海の北西部に位置するクムランという場所で修道士生活を送っていた宗教団体のことをクムラン宗団と言います。

クムランには荒涼とした土地が広がり、死海からも2~3キロほどの位置にあります。広大な湖であった死海は、魚類は生息することができないほどの塩分濃度であり、海水の約8.6倍の塩分濃度と言われています。

このような荒れ果てた場所で修道士は厳格な規律のもと、修行をしていたのです。

ではなぜそんな荒れた土地が有名になったかといえば「死海文書」の発見でした。

死海文書は歴史的な発見

死海文書とは、クムラン周辺の遺跡で見つかった写本のことを言い、聖書関連の文書から成り立っています。

この発見は20世紀最大の考古学的発見と言われ、現在の聖書との差分からどのような歴史があったのかが伺える書物となっています。

その文字は、主にヘブライ語で書かれていましたが、2割ほどはキリストが使っていた「アラム語」でも書かれていたと言われます。

失われつつあるアラム語

アラム語は紀元前1000年頃~紀元600年頃の約1600年間ほど使われた言葉であり、今のシリアを中心に使われた言語でした。

現在でもアラム語を使う人はいるようですが、周辺のアラビア語やクルド語の影響を受け、徐々に縮小しているようです。

死海文書とクムラン宗団、そしてキリストとの関係性

実は死海文書はクムラン宗団が書いたのではないかと言われています。

死海文書が見つかった場所はクムランという場所であり、クムラン宗団が集団生活を行っていた場所です。

また、一部の書物はキリストが使っていたアラム語で書かれていることもあり、信ぴょう性があります。

またクムラン宗団には以下のような規則がありました。

「12歳までは宗団の規則に従って生活する。21歳までは見習いとして修業を積み、入会資格を得た後に試験を受けて30歳までに一人前の宗団員になる。」

キリストが救世主としてさまざまな奇跡を起こしてきたのが30歳の頃です。

ということは、キリストはクムラン宗団へ所属して修業をし、30歳までに一人前となり教えを広めていったのではないかとも考えられるのです。

バチカンが隠した死海文書の内容

死海文書は現代の言語で書かれておらず、解読が必要な書物となっています。

解読作業の中心となっているのが、バチカンです。

バチカンはローマにある世界最小の国でありながら、キリスト教最大であるカトリックの総本山です。

しかし死海文書は1947年に発見されたにもかかわらず、解読作業は順調に進んでいないと言われています。

50年以上経過しているのに、なぜ解読が順調に進まないのでしょうか。

そこには、バチカンの法王庁が関係しているようです。

世界で最古の聖書文書である死海文書は、紀元前250年~紀元70年の間にかかれたと言われています。

そしてキリストが生きた時代と同じ時代に書かれた書物です。

現代のキリスト教の教えというのは、旧約聖書と新約聖書が基となっています。旧約聖書は神の話が書かれており、新約聖書にはキリストのことが書かれています。

ここがポイントです。

この新約聖書はキリストの死後3日で書かれたと言われています。

そうすると、死海文書の方が古いわけです。

現代のキリスト教を支えているものが新約聖書だとしたら、その思想をくつがえすだけの情報が死海文書に記されていたのかもしれません。

クムラン宗団とイエス・キリスト まとめ

クムラン宗団の一員だったのではないかと噂されるイエス・キリスト。

新しい死海文書の発見や解読が進むと、噂が本当だったと気づかされる時が来るかもしえませんね。