陸から隔絶した船の上は、密室ミステリーの舞台として、古今多くの小説で描かれていますが、もしかしたらその原点は、この事件にあるのかもしれません。
いわゆる“人間消失ミステリー”の古典、19世紀末に起こった貨物船「メアリー・セレスト(Mary Celeste)号」の事件です。
メアリー・セレスト号の背景と所有権
メアリー・セレスト号は1861年にカナダで建造された全長約31メートルの商用帆船で、建造当時は「アマゾン号」という船名でした。
なぜか所有者が何度も変わりましたが、1869年に船名をメアリー・セレスト号と改め、アメリカ船籍の貨物船として活躍していたようです。
1872年11月7日、メアリー・セレスト号はアメリカのニューヨーク港を無事出航しました。
船長のベンジャミン・ブリッグズはアメリカ人で37歳、メアリー・セレスト号の共同所有者になった、いわゆる船主船長です。
雇われ船長と異なり、船主船長は個人事業主のようなもので、自分で雇った乗組員の他、自身の家族も同道することが珍しくなく、実際、この航海には、ブリッグズの妻、サラ・エリザベス・ブリッグズ(30歳)と娘のソフィア・マチルダ・ブリッグズ(2歳)が同行していました。
輸送業務の内容は、1,700樽の工業用アルコールをニューヨークからイタリアのジェノバまで運ぶこと。
ヨーロッパと北米大陸を結ぶ大西洋航路は19世紀の初めにすでに確立されていましたが、帆船なので洋上では風任せ、欧州の玄関口・イギリスのリバプールまでですら、40日程度はかかります。
大量の危険物の樽と妻と娘を守りながら2~3ヶ月かけて海上を進むこの仕事に、ブリッグズは2人の航海士と1人の料理人兼客室乗務員を含む計7名の男性船員を雇用していました。
船員たちの平均年齢は26.6歳。37歳の船長のリーダーシップを脅かす恐れは無さそうなものの、まだ若く血気盛んな船員たちが十分に経験豊富で礼儀正しかったのかどうかは、疑問が残ります。
メアリー・セレスト号の記録と捜索
少なくとも出航後18日間、1872年11月24日にブリッグズが航海日誌を記入し終わった時まではおそらく平和で、船体が大西洋のアゾレス諸島の西方100マイルの海上にあったことが書き残されています。
翌25日にはアゾレス諸島最東端のサンタマリア島に到着・寄港できる位置であり、それが、発見されるまでのメアリー・セレスト号についてわかっていることの全てです。
船舶無線が発明・実用化されるのは1897年のこと。それからの9日間に何があったのかは誰にもわかりません。
10日目となる1872年12月4日(5日の説あり)、アゾレス諸島付近を通りがかったカナダ船籍の貨物船「デイ・グラツィア号」が海上に停止しているメアリー・セレスト号を発見したことが、このミステリーの始まりであり、終わりでもありました。
デイ・グラツィア号はメアリー・セレストから7日後に同じニューヨークを出航、モアハウス船長は偶然にもブリッグズの友人で、ブリッグズの出発前夜には二人で夕食を共にしていました。
この事実によって、モアハウス船長はブリッグズと共謀しての保険金詐欺を疑われますが、嫌疑は後に否定されています。
モアハウス船長の指揮の下、メアリー・セレスト号は慎重に捜索されました。その結果わかったことは以下の通りです。
・停止しており、羅針盤が破壊されているが、救難信号は掲げられていない
・船全体に浸水しているが、航行不能なほどではない
・6か月分の食料と水が、貯蔵室にそのまま残されていた
・六分儀(海上での位置確認器)・クロノメーター(時計)・航海日誌以外の書類が無い
・積荷のうち9樽が空になっていた
メアリー・セレスト号が注目を浴びたきっかけ
事件から10年以上が経った1884年、作家コナン・ドイルは短編『ジェ・ハバカク・ジェフスンの遺書(J. Habakuk Jephson’s Statement)』を発表します。
無人で発見されたメアリー・セレスト号に想を得て、船名などの多くの事実を設定として流用しました。
そのため謎めいてはいてもありふれた海難事件だったメアリー・セレストは一躍注目と誤解を集めることになったのです。
世紀の人間消失ミステリーとして、話の尾ヒレを増やしながら今に至るまで語り継がれてきました。
結局、メアリー・セレストに何が起こったのか。噂を除いて残る事実は案外に単純なように見えます。
何らかの理由で急ぎ船を退去せざるをえなくなり、六分儀やクロノメーターを持ち出して、救命ボートに乗り込んだのです。
サンタマリア島から近い位置にあったと思われ、食料や水を残していったことも納得がいきます。
救援を待てずに船を放棄したこと、船に浸水があったこと、積荷が引火可能な危険物であり、いくらかなくなっていることを考え合わせれば、火災や爆発の可能性は高いでしょう。
しかしそれは事故なのか?故意なのか?
なぜ、そのような事態に陥ったのか?
救命ボートに乗り込んだのは何人だったのか?
彼らがどんな時間を過ごし、どんな最後を迎えたのか、または秘密裏に生き延びたのかは分からずじまいです。
事実は小説より奇なり。
信じられないような偶然、我々の知らない驚異が海の上にはあります。
あらゆるミステリーの可能性は、これからも否定されることはありません。